Archive for the ‘スポーツトレーナー報告’ Category

レーシングドライバー野田英樹 ル・マン24hを最後に引退!!

金曜日, 6月 4th, 2010

 先日、長年治療に携わらせていただいてたプロレーシングドライバーの野田英樹選手が、

6月にドライブするル・マン24時間耐久レースを最後に引退すると発表されました。

   

今年もすでにル・マンシリーズのヨーロッパラウンドを2戦こなし、3年目のシーズンを順調に

こなしてたのですが、野田選手自身は昨年のル・マン24hのレースから、引退を飾るレースを

どこで迎えるか考えられてました。

というのも、昨年の2009ル・マン24hのレース前に、レースを完走してレース人生にピリオドを

打ちたいと近々の方々には伝えておりました。しかしレースは悔しくも45分前にリタイア。

あまりにも残念な結果に、周りの方々が担ぎ上げ、引退を1年延ばすことになったのです。

そうです、ル・マン24時間を完走する野田英樹を見たいんや、と。

一度は引退を考えた野田選手も、モチベーションを保つのは大変だったと思います。 

そして今年も世界最高峰のル・マン24h耐久レースに戻ってきました。

ドライブシートを獲得するのは並大抵の努力ではありませんでしたが、有言実行、

野田選手の思いの強さをひしひしと感じました。

そして有終の美を飾るため、昨日フランスへ旅立ちました。 

決勝レースは6月12日(土)~6月13日(日)まで。午後3時に終了のチェッカーが振られます。

なんとしても野田選手には24時間のレースの終了をコース上で迎えるとともに、

29年のレース人生のチェッカーフラッグを受けてほしいと心から願います。

以下は野田英樹選手の事務所から正式発表されたプレスリリースです。

レース後のレポートももちろん掲載します。お楽しみに。

 

Project Royal Oak Release                         2010/6/3

野田英樹、
今年度のル・マン24時間参戦を最後に、
現役引退を決意!!

レーシングドライバー野田英樹が、クルーズ・シラー・モータースポーツより今年度のル・マン24時間耐久レースに参戦することが決定しましたので、ここにお知らせします。
なお、今回のレース挑戦を最後に、野田英樹は29年間に渡る現役レーシングドライバーとしての活動に終止符を打つことを、合わせて発表させていただきます。

野田英樹のコメント
「昨年、40歳という人生節目の年齢を迎えた自分は、世界3大レースのひとつ『ル・マン24時間耐久レース』への挑戦を最後に引退を考えていました。しかし、23時間15分を走りきった段階でのリタイアという人生最大の悔しさを味わい、あと1年頑張って再びこの世界最高峰の耐久レースに挑戦し、自分自身の情熱を燃やし尽くそうと考えるようになりました。

世界的な不況にもかかわらず、今回の僕の挑戦を理解し、支えてくれた日本のスポンサーの方々や、野田英樹を走らせるために頑張ってくれたチーム関係者の皆さんに、心から感謝しています。そして、長年、僕を支えてくれているファンの皆さんや友人の方々、そして苦楽を共にして戦い、励まし、支えてくれている家族のおかげで、今回の最後の挑戦が実現できる幸せを、ひとりのレーシングドライバーとして噛みしめています。

思えば13歳でレーシングカートを初めてから29年間、レースが好きで、心から好きで、この世界でずっと頑張ってきました。マシンを操縦する魅力は僕にとってかけがえのないものですし、自分自身の才能を発揮できるサーキットという場所を愛してきました。本音を言えば、ずっと乗り続けていたいし、まだまだ現役で走り続けられる自信はあります。自分自身のためだけに走るのであれば、あと10年、50歳まででも走り続けたい。でも、自分のことだけを考えて走り続けることに対して、なぜか疑問を感じ始めたのです。

本当に多くの人々に応援してもらえたことで、本当に幸せなレーシングドライバー生活を送ってきた自分は、世界中のサーキットで、最も多くのカテゴリーで戦ってきた日本人ドライバーだという自負があります。世界で最も経験を積んだ日本人ドライバーとして、その経験を次世代に伝えることを、自分自身の次のチャレンジにするのも面白いなという気持ちが芽生えてきたのです。世界で勝てるドライバーを育て上げていきたい。それが次の野田英樹の挑戦です。1年や2年ではなく、5年や10年のスパンで考えているだけに、だからこそいま、自分は現役から身を引くべきだと決意しました。

正直、現役に未練がないと言えば、嘘になります。衰えたと感じたこともありませんし、もっともっと頑張りたいという気持ちが半分あります。でも40歳で引退して、次の挑戦をスタートするという自分の気持ちを1年間伸ばしたから、今年のル・マン24時間耐久レースで全力を出し切って、どんな結果にせよ、レースが終わった瞬間から、第2の人生に向けて全力で走り始めます。次世代のトップドライバーを育成するために走り始めるのです。それが僕の愛した、そして僕を愛してくれたモータースポーツの世界への恩返しだと思っています。

最後のレースとはいえ、もちろん表彰台を狙える体制は整っています。確かにワークス勢と比較すれば性能的なハンディは明らかですが、24時間耐久レースは、人生と同じです。一所懸命に頑張り続ければ、きっとチャンスがある。野田英樹のレース生活29年間の集大成となる、本年度のル・マン24時間耐久レース挑戦を、皆さん、ぜひ応援してください」

◆ルマン24時間耐久レース スケジュール
    開催場所 :フランス  ルマン市 サルテサーキット
レース日程:予選  6月9日(水) 6月10日(日)
決勝スタート 6月12日(土) 15:00
               フィニッシュ 6月13日(日) 15:00
        (すべてフランス現地時間)
                

●ルマン24時間耐久レース オフィシャルホームページ
http://www.lemans.org/24heuresdumans/
 

久々、平野司選手 優勝!!

金曜日, 6月 4th, 2010

久しぶりにプロトライアスリートの平野司選手がやってくれました!!

5月2日、フィリピンであった、2010ITUトライアスロンアジアカップ スービックベイ大会で

男子エリート部門で4年半ぶりの優勝をかざってくれました。

石垣島トライアスロンでなかなかのレース展開だったのはブログで報告させていただいて

ましたが、こんなに早く結果を出すとは・・・。

4年半ぶりの優勝はかなりうれしかったみたいで、帰国後即連絡がありました。

まだまだ長年のスランプからすこし光がみえてきたところですが、

スター性のある彼の活躍はたくさんの方が期待しています。

勝つよろこびを思い出して、ひとつひとつの試合をこなしていってほしいと思います。

ライバルの細田雄一選手にくらい付いていけっ!

レース展開等はJTUのホームページで。

2010石垣島ITUトライアスロンワールドカップ 2位!!

木曜日, 5月 6th, 2010

やってくれましたっ!!!

ワールドカップでついに表彰台!細田雄一選手!!

4月25日、晴天のなか石垣島でITUトライアスロンワールドカップが行われました。

この大会は前年『行列のできる法律相談所』で弁護士の方々やタレントさんが数多く出られ

すごく注目された大会で、今年も大盛況でした。

一般部門ではなくプロの集まる男子エリート部門で、

治療している細田雄一選手と、平野司選手が出場されました。

両選手とも大阪から千葉の稲毛に移籍されて日常のメンテナンスは

できないんですが、私の東京往診の際に時間が合えば診させてもらってます。

 もともとトップクラスの両選手。

とくに細田選手は昨年からメキメキ力をつけて、昨年末の日本選手権では3位を獲得、

今年はシーズン序盤からクル予感はありました。

この大会はワールドカップの位置付けで出場資格も厳しく、レベルの高い大会であることもあり

海外の選手も多く、みんながみんな表彰台ねらい。

その中での表彰台ゲット。しかも第一人者の山本良介選手をやぶって日本人選手トップ。

価値のある2位でした。

ロシアのトップの選手とは5秒差。ゴール直後は悔しさ半分だったみたいですが、

すこし落ち着いたら喜びが湧き起こってきたとのことです。

すぐにメールで報告がありました。思わず私もガッツポーズです。

試合の経過はJTUのホームページで。レースのダイジェストも動画で載ってます。

そして細田選手のブログもぜひ!

今シーズンも始まったばかり。世界転戦が続きますが、体調壊さずに目標の

ロンドンオリンピックまで足踏みせず突き進んでほしいです。

で、チームメイトの平野司選手。スイムはいつものようにトップ集団。バイクも食いつき

がんばるも、ランで実力差を見せ付けられてしまいました。それでも日本人選手5位、

全体でトップから2分30秒遅れの19位。少しずつ上向きのレース展開です。

近いうちに喜びの声が聞けるのではないかと、期待です。

アジアン ル・マン シリーズ in 岡山国際サーキット

月曜日, 4月 19th, 2010

報告があまりにも遅くブログにのせようかどうか迷いましたが、いっちゃいます。

昨年末、アジアン ル・マン シリーズが岡山国際サーキットで行われ、私が専属で

トレーナーをしているプロレーシングドライバーの野田英樹選手が

2年ぶりに日本のサーキットに出場されました。

 

もちろんル・マン シリーズといえど、2年連続出場しているフランスの

ルマン24時間耐久レースのように24時間ぶっ続けの耐久レースというわけではありません。

レースは2日間に分けられ、各3時間ずつを、3人のドライバーでドライブします。

今回はこのレースに加え、WTCC(世界ツーリングカー選手権)という

ヨーロッパで大人気の市販車ツーリングカーのレースも同時開催で

大きく盛り上がりました。

 

今回野田選手が所属する『kolles(コレス)』というチームはドイツの名門チームで、

2006年~2008年までルマン24時間レースを3連覇したAUDI R-10 TDIのマシンを

2台持ち込み、必勝体勢で日本に乗り込んできました。

 

しかもドライバーは、ベテランの野田英樹選手に加え、野田選手と同じ元F1ドライバーの

クリスチャン・アルバース、マカオF3チャンピオンのオリバー・ジャービスなどがラインナップと

本気モード全開でした。

 

1日目は予選。マシンのレースセッティングが思うようにいかず苦戦しましたが、

トップと1秒差、グリッド5番手からの決勝となりました。

決勝は2日に分けて行われます。

 

決勝1日目は順調に周回を重ねていたんですが、2人目のドライバーがスピン、ピットに

戻るもじょじょにトップから引き離される厳しい展開。

そんな中、野田選手がドライブスタート。

少しずつ追い上げるもトップには追いつけず1日目は終了した。

その1日目のドライブで、野田選手は外人選手の大きな体格に合わせたシートで

ドライブしたために、ドライブ中シート内で強烈なGの中、からだが揺さぶられ

腰と足の感覚がほどんど感じれなくなっていました。

で、もちろん私の出番っ! となるわけなんですが、次の日に関東で大きな仕事が控えてた

私は野田選手のフィニッシュを見た瞬間に、関東方面へむけて車をスタートさせていました。

大阪に戻りかけた頃、野田選手のマネージャーからコールが・・・。

痛みに対して非常に我慢強い野田選手が痛みで動けない、とのことで、急遽Uターン。

深夜まで治療して、何とか決勝2日目に望めるように回復させました。

 

 

決勝2日目は雨。

プロトタイプのマシンで屋根がなくとも、もちろんそのまま走ります。

あいかわらずのマシンセッティングで少しずつトップとは距離が離れていきます。

上位陣もトラブルなどで、トップが少し見えてもこちらがまたトラブル、と

フラストレーションが溜まるレース展開でした。

 野田選手も、結局フィットしないシートで激痛に耐えつつ何とかドライブ。

完走はしましたが、6位。

ルマン24時間耐久レース優勝のマシンといえど、超高速走行用に作られたマシンで、

岡山のタイトなコーナーの続くレース場にはセッティングしきれなかったことが敗因でした。

日本で優勝を飾りたかった野田選手にとっては悔しさの残るレースでした。

なお細かいレース内容につきましては、野田英樹選手のホームページに掲載されています。

第15回日本トライアスロン選手権 東京港大会

火曜日, 10月 27th, 2009

私にとって10月の風物詩、10/18日曜、すばらしい秋晴れのなか、

第15回日本トライアスロン選手権東京港大会が行われました。

 

当院で治療してますプロトライアスリートの平野司選手、学生チャンピオンの岡公記選手、

そして一昨年まで彼らと一緒に治療してた細田雄一選手(現在は千葉の稲毛)が

そろって出場されました。

 

前日のコンディションとしては、さすがにこの大会に焦点を合わせてきてるな、というような

完璧な仕上がり。あとは大会スタートを待つのみ、といったかんじでした。

 

午前11時、お台場の砂浜を、波しぶきを立てながら豪快にスタート。

 

2周して1.5キロを泳ぎますが、1周終了時点でトップが平野司選手。

さすがスイムでは世界トップクラス。余裕かまして2周目に入ります。

 

泳ぎ終わってやはりスイムトップは平野司選手。

続いてすぐあとに田山寛豪選手、山本良介選手、細田雄一選手。

バイクに移って4人が先頭集団を築きます。

 

平野選手以外はランキングトップ3。順当です。

バイクは40キロ。周回をまわりますが、6周目で平野選手、細田選手が遅れ

後方の第2集団に吸収されます。

 

ランは10キロ。2周目、田山選手がスパートをかけ、あっさりブッちぎって

危なげなく日本選手権4連覇、6度目の優勝。圧倒的な強さを見せつけました。

平野選手はバイクでは第2集団を形成してたのですが、

ランに入りスタミナ切れで、大幅に遅れ30位フィニッシュ。

   

岡選手はスイムの遅れを徐々に取り戻し、平野選手を抜いて23位フィニッシュ。

 

ともに結果は惨敗でした。

細田選手はバイクで第2集団に落ちましたが、ランで巻き返し3位フィニッシュ。

 

表彰台をゲットしました。

終了後、彼らの顔を見てても、平野・岡両選手は力及ばず、といった力負けした

あきらめ感でしたが、細田選手は近づくのもはばかれるくらい、悔しさをにじませてました。

平野選手は日本のトップまで登りつめ、その後どん底まで落ちて、今這い上がってる最中。

現在の日本のトップである田山・山本両選手との力の差をあらためて認識していました。

私が見たかぎり、自分で自分の限界点をつくってるように思えました。

最近“勝ち”を経験していないだけに、 “負け”をレース中でも素直に受け入れすぎてる

ような気がします。

一度落ちた選手が1年、2年ですぐにトップに返り咲きできるほど甘くはありません。

この悔しさをバネにじっくり自己分析し、心を鍛えなおして出直しです。

岡選手は、学生チャンピオンと、日本トッププロとの位置付けが認識できた意味ある大会

だったと思います。彼らしく、ジッと我慢で根気強く、自分らしい試合運びだったと思います。

本領を発揮すれば、もう少し上位を狙える実力はあると思いますが。

細田選手は当然トップを狙っていました。力負けしたことに相当悔しがってました。

もちろんトップを狙える実力を今現在でしっかり携えてるからです。

 

ランキング3位。常に上には田山選手、山本選手。

後姿はいつも見えてるのに、突き抜けられない自分が悔しくて仕方ないのでしょう。

千葉に移転してから、ますます充実した練習を積んでると聞いてます。

気持ちが折れなければいつかチャンスは来ます。

あきらめて自分の位置に納得してしまったら、そこでオワリ。

彼は気持ちが強いから、いつか栄光を掴み取るでしょう。

みんながそれぞれの目標を持ちながら、自分の限界にチャレンジしてます。

見守るしかできませんが、がんばってほしいです。

今回は平野司応援団としてTシャツを作って、彼の奥様を中心に美女軍団で声援を

送っていました。声援は間違いなく日本一でした!!

Tipo OVERHEAT MEETING 2009 Ferrari cup in岡山

木曜日, 9月 10th, 2009

暑い夏がやってくると、そろそろferrari  cup の季節だなと思うようになりました。

今年で3年目。

Tipoという自動車雑誌の主宰で行われる輸入車の祭典が、先日、岡山国際サーキット場で

行われました。

 

輸入車のファンもいれば、実際に自分が載ってる車を持ち込んでの走行会参加や、

市販車をレース用に改造し本格的なレースをする方もいて、様々に祭典を楽しんでます。

私がトレーナーとして参加してるのは、イタリア車のFerrari のオーナーの方々の集まり

“Ferrari  Club”のレーサーの方々の治療です。

アマチュアのレーサーとはいえ車は超高級のFerrari、装備はすべて本格的、

レースは250キロ越すスピードで、プロレーサーさながらです。

もちろん下手をすれば命にかかわります。

だからレースに出る以上、からだのメンテナンスは必然なんです。

 

レースに参加される方々は、たびたびレース場を借り切って

練習走行会を行い鍛錬を積まれています。

一番最初に治療依頼をいただいたのは、Ferrari アマチュアレーサーの天満真吾選手。

 

今年もカテゴリー優勝!!でした。

レースが終われば40も過ぎた方々が少年のような顔をしながら延々とレース談義です。

ひとつのことに打ち込めるのはすばらしいな、と思います。

 

最後には表彰式にシャンパンファイト。

皆さんの最高の笑顔で長い一日の幕は下りました。

2009 NTTトライアスロンジャパンカップ第6戦 大阪舞州大会

火曜日, 8月 11th, 2009

7月の炎天下のなか、大阪の舞州でトライアスロンのジャパンカップ第6戦が

行われました。

当院で治療を担当してメンテナンスしてる選手が2名出場ということで、

当院スタッフも連れて万全のバックアップのもと大会に臨んでいただきました。

 

まずはプロトライアスリートの平野 司選手。

公私とものお付き合いも気が付けば5年目。 

  

少々表舞台から遠ざかっているものの、日本ランキング1位にも君臨した選手ですから

這い上がってきてもらわないと困ります。

大学時代は飛ぶ鳥を落とす勢いでトップを常に争う選手でしたが、

プロ転向後、海外転戦がつづき競技生活のバランスがくずれ、

ここ2年ほど思うような成績が残せていません。

スイムは世界でも十分通じる力を持ってるだけに、

出場する大会ではほとんどトップ集団であがってきます。

今回の大会でも2位に50秒近い差を開けて、ダントツの1位であがってきました。

バイクも順調に先頭をブッちぎってたのですが、

前回のジャパンカップ仙台ベイ七ヶ浜大会の集団バイク転倒事故の

後遺症がたたり、ずるずる後退。

  

ランもその影響で左腕が振れず、固定した状態で走ってました。

ランの途中から痛みに慣れたのか快調にとばし始め

12位でゴールしました。

スイムのブッちぎりとラン後半の勢いは次のレースに繋がる何かを感じさせました。

彼の目標はあくまでロンドンオリンピック。

潜在的に持つポテンシャルの高さと圧倒的なスイムの力は

それが十分狙える選手だと思います。

今、日本トライアスロン界は、男子エリート部門では山本良介選手が頭ひとつ

飛び出てます。でも2番手3番手は団子状態。

秋にある日本選手権ではなんとしてもそこに食い込めるように

がんばってもらいたいです。

山本良介選手は今大会には出場されませんでしたが、来場して

平野選手にもアドバイスを送っていました。

平野選手はすでに、10月東京台場である日本選手権の出場権は獲得してます。

来年へのステップとして意味あるレースにしてほしいです。

もちろん院としても全面バックアップです。

その平野選手の大学の後輩にあたる岡 公記選手も当院でメンテナンスしている

アマチュアのトップトライアスリートです。

平野選手の紹介で診させてもらうようになって1年になります。

彼は彼で、学生のトライアスリートのなかではトップ数人のなかに入る実力者です。

今大会は国体選考も兼ねてたので、学生最後の年、選考にひっかかれば、と

思っていました。

スイムでは出遅れましたが、いつものようにバイクとランで巻き返し、

ケガで遅れをとった平野選手を追い抜き7位でゴールしました。

 

結果、上位には県外の選手や条件を満たさない選手のみでしたので

国体出場も決定しました。

国体までに苦手のスイムを補強し、満足のいく結果を残してほしいです。

彼は全国大学総体(インカレ)にも出場します。上位に入れば

10月の東京台場の日本選手権にも出場できます。

平野選手とともに大阪パワーを発揮してもらいたいです。

第77回ルマン24時間耐久自動車レース レポート

土曜日, 6月 27th, 2009

 今年も行ってきました、ルマン24時間耐久レース

フランス ルマン市のサルテ・サーキットで6/13(土)~14(日)の日程で

開催されました。

6月8日月曜のフランス到着だったのですが、前日は後輩の結婚式で朝方まで、

その前日は某超有名総合格闘家にご指名をうけて緊張のなか往診治療と

かなりあわただしく、あまり心の準備が整わずにルマン乗り込みとなりました。

加えて、豚インフルエンザや世界的不況のなか、観客が盛り上がるのか密かに

心配してたんですが、今年も例年同様30万人以上の人たちが集まりました。

さすがモーター王国ヨーロッパ、熱気が違います!!

今年の野田英樹選手の愛機は昨年同様Lola  Mazda、チームもドイツのプライベート

チームKSM(クルーズ シラー モータースポーツ)から。

 

私がサーキット入りした月曜は、天候は小雨、肌寒いいまいちの天気事情。

思わず昨年を思い出しました。昨年は決勝の2日間、ほとんどが雨で

夜の気温は2・3度。凍える気温のなか毛布に包まり治療してました。

上の写真を撮ってるときも、いきなり雨が降ってきて、大慌てでマシンをピットの

中に収納してました。

今年も決勝は雨かも・・・。いやな予感が走りました。

 

今年のゼッケンナンバーは『39』

ドライバーは昨年ヨーロッパ版ルマンシリーズをともに戦った同じメンツ、

Jean De Pourtales選手と、Matthew Marsh選手。

出場カテゴリーは『LMP2』プロトタイプマシンの排気量“小”のカテゴリーです。 

もちろん野田英樹選手は今年もエースドライバー。

 

まだ月曜、火曜などはレース場には関係者しかいないんですが、

水曜あたりになると、大きなキャンピングカーでヨーロッパの各地から

観光客が訪れ、お店もあちらこちらに出店し賑わいをみせてきます。

レース場まわりは大渋滞。普段5分の距離が1時間以上かかります。

 

金曜日は例年どおり選手たちがクラシックカーに乗ってルマン市内を練り歩く

パレード。沿道には30万人の観客。そしてわがチームには、な・なんと、

8人のレースクィーンたちがっ!!

いやはや、当チーム、はっきり言ってめちゃめちゃ目立ってました。

大会関係者のエライさんもこぞって写真を撮りに来てました。

スポンサーのひとつ、クリエイトネットワークさん(道路状況などを配信するIT企業)

が連れてきてくれました。いやぁ~、華やかでした。

 

今年の治療はチームスタッフやスポンサーの方々、レースクィーンまで

広い範囲で治療させていただきました。

1週間、レースを完遂するために各自が与えられた仕事を完璧にこなすよう

誇りをもって最大限の努力をつぎ込みます。

ドライバーや監督が目立ちがちですが、チームみんなが力を出し合って

はじめて大きな結果を生み出します。だから完走して24時間走り終わった後は

だれもが勝利者なんです。その達成感を感じるためにがんばってると言っても

過言ではないでしょう。

決勝を迎える土曜日くらいにはほとんどの方々が疲労困憊です。

野田選手のマネージャーの彼は毎日2時間くらいの睡眠でレース場を

駆けずり回ってました。レースクィーンたちは高いヒールを履いてピット内を

炎天下のなか延々と練り歩きます。ピット内のメカニッククルーたちは

徹夜続きでほとんど寝てません。

私の治療がチームのため、彼らのために少しでも役立っていたならばありがたいです。

さていよいよスタートです。

昨年とは打って変わって晴天。気温は28度まで上がってました。

2・3日前までの気候がウソのようです。

レース出場車はグリッドまで手押ししていきます。そして最後までメンテナンスしてます。

実は午前中の練習走行中に見つかったエンジンのオイル漏れがこのグリッドの

並んだ時点でも解決していなくて、走行自体も微妙な状態だったんです。

写真でもわかるようにグリッドに並んでもカウルをはずしてメンテしてました。

 

上のゼッケンナンバー9は24時間後、歓喜を浴びるマシン、

優勝車両のプジョー908HDi  ジェネ/ブラバム/ブルツ組。 

プロトタイプのマシンは乗り込むスペースはすごく小さいんです。一台数億円です。

各車勢ぞろい。ウォームアップランを一周したあと、

満員の観衆のなか午後3時、ローリングスタートします。 

 

ゼッケン39も勢いよく飛び出したんですが、先のトラブルが解決してなかったので

1周回っていきなりピットイン。そこから長い作業に入りました。

 

長いピット作業もなんとか終わり、エースドライバー野田英樹選手の登場です。

3人でのドライブで24時間を走りきるんですが、どうしてもエースドライバーは

重要な時間帯に走ったり、他のドライバーより多く走ることになります。

コックピットに収まる野田選手のバイザーのなかの眼光はするどく殺気立ってます。

普段笑顔のやさしい野田選手とは全くの別人です。命がけですから当たり前ですが。

近づくこともままなりません。

ドライブを交代するとただちにメカニックに走行状態の報告を事細かにします。

この報告によってマシンのセッティングも決まってくるので報告内容にもセンスや経験が

問われます。ベテランの野田選手にはこのあたりも大いに期待されての起用なんです。 

休憩や治療はその後です。

 

この時期のフランスは日没が午後10時半くらい。

もちろん日没を迎えてもまだまだ序盤です。

夜間走行のかんじを野田選手に聞いたことがあるんですが、真っ暗闇のなか、

ほとんど感覚で走ってるとのことです。それでも路面の状況は瞬時に判断してる

らしいです。裏ストレートでは400キロに近いくらいのスピードが出てるにもかかわらず、

ですよ。一般では理解できない感覚です。

実際昔のルマン大会では多くの人が命を落としてます。

夜間走行、夜中2時過ぎから夜が明ける6時過ぎまで4時間あまり野田選手が

ロングドライブし、ピットに帰還したところ。心身ともに疲れ果ててました。

この後何度かピット作業があったものの何とかしのぎきり、フィニッシュまで1時間半

くらいを残しエースドライバーの野田選手にチェッカーを受けてもらうために交代。

あとはミスなくドライブすればLMP2カテゴリー5位入賞が待ってました。

私たちも観客になり終了へむけ期待をふくらませていた午後1時半すぎ、

チェッカーまであと1時間半の時点で、当初より問題になっていたエンジンからの

オイル漏れに引火してしまいマシンが炎上。マーシャルが消火する事態に。

ドライバーの野田選手は無事脱出。 

チェッカーを受けなければ完走にはならないので、なんと野田選手やスタッフが

手で押してピットに戻し、修復作業にかかります。

しかし残念無念、どうすることも出来ず、フィニッシュまで残すところ

あと45分で無念のリタイアとなりました。

野田英樹選手の公式コメント》

「初日のアクシデントから始まり、トラブルの連続で非常にタフなルマン挑戦でしたが、最後まで諦めてはいけないと言う事を肌で感じた一週間でした。日本からは50名以上の応援団が駆けつけてくれ、現地に来られなかった、スポンサー、ファン、友人などからもたくさんのメールや電話を頂き、一人で走っているのではなく、その期待に何よりも応えたいという気持ちでした。

しかしスタート直後からエンジントラブルが続出。度重なる修復作業でかなりのタイムロスをするも、チーム全員ができることの最大限でそれぞれが戦い、残り1時間と言うところまで走行し順位はこのままゴールすれば5位入賞が目前でした。チームは最後の大役を私自身にステアリングを委ねてくれ、最後の走行のためにコースに戻りました。ところがその数周後、突然またもやエンジンに異変が発生しました。コース上からピットまではまだ5キロメートルほどの距離が残っていましたが、何が何でもマシンをピットまで戻して修復し、意地でもゴールさせるつもりでした。しかしながらピットまであと50メートルと言うところでエンジンから火を噴き完全にストップ。それでも諦められず、その火を消してでもマシンを押してピットに戻し、何とかする気持ちでした。あれだけチームスタッフが必死に頑張り、ドライバー3人ともがミスなく走ってきておきながら、どうしてまたもエンジンに足を引っ張られるのか・・・。納得できませんでした。その頑張りはピットまで戻る間、グランドスタンドにいた観客の壮大な拍手が表してくれていたように思います。

ルマンへの挑戦は今回で終わりにするつもりでしたが完走&入賞を目前で逃したまま辞める訳には行かないようです。来年もあの場に戻りこの悔しい思いにけりをつけに行きたいと思っております。今回ルマンへの挑戦に協賛、ご協力をいただきました皆様に心からの感謝を申し上げます。結果はリタイヤとしか残りませんでしたが、その内容は何よりも大きなモチベーションにつながりました。そして野田英樹の挑戦はもうしばらく続きます。」

(監督のコメントともにレース内容など、http://www.hideki-noda.com/ に詳しくのってます。)

チームメイトの隻腕ドライバーのジャン。戦い終わって一息ついたときに

声をかけました。彼は左腕が肘から先が義手なんです。ドライブするときは

義手をステアリングに固定します。ハンデも何のその、右手でギアチェンジし

300キロオーバーでマシンをぶっ飛ばします。

普段は某有名証券会社の支社長、メガネかけてたらホント銀行員にしか

見えません。見事にハンデを克服し充実した生活を送ってられます。

 

宿泊所のシャトーに戻り、野田選手も合流し、スポンサーの方々とともに打ち上げです。

今回は昨年とは違いスポンサー、関係者を含め野田応援団が60人を超えていたので

打ち上げも盛大でした。この席で野田選手は来年リベンジへの意気込みをみんなの

前で高らかに宣言してくれました。

 

気がつけばみんなでシャンパンファイトにビールかけが始まり、スポンサーの

社長さんたちまでびしょびしょ。お酒が苦手な野田選手まで、みんなに絆され

シャンパンを一気飲み。ものすごく貴重なショットをいただきました。

最後はみんなで野田選手を胴上げ。来年に雪辱を誓いました。

今回も様々なトラブルにみまわれハードなルマンとなりました。

でも、だからこそ世界三大レースに挙げられる大会なんだと思います。

昨年に引き続き悔しい思いをしましたが、14時間あまりでリタイアした昨年よりも、

今年はチェッカーまで45分とステップアップしました。

野田選手も来年に雪辱を誓ってくれました。

三度目の正直になればいいですが、そんなに甘くないのもルマン24時間。

来年出場したら三度目なんで完走できる、なんて保障は何一つありません。

でも物事を達成するために最初からネガティブなら進む話も進まなくなります。

各々がやれることを確実にこなし、強い信念を持って成功を信じ、突き進むしか

ありません。それをこなしてはじめて成功へのスタートラインに立てるんです。

だからこそ気持ちを揺さぶられ、感情移入し、感動を呼ぶんだと思います。

来年が楽しみです!!

ルマン24時間自動車レース2009 今年も行ってきます!!

金曜日, 6月 5th, 2009

 

あっという間に1年。もうルマンの季節がやってきました。

もちろん野田英樹選手のドライブシートが毎年確約されているわけでもなく、

今年はどうかと思ってたのですが、今年も昨年のドイツのチーム『KSM』から

シーズン最初からヨーロッパ ルマン シリーズにドライブされています。

経験豊富なベテランとしての実績と確実なドライブ、マシン開発の高い能力を

買われて今年もドライブシートを獲得されました。

ルマン24時間レースは耐久レースのオリンピック。世界三大レースの一つです。

F-1ドライバーなどそうそうたるメンツが集まるレース界のビッグイベントです。

全世界から観客が30万人以上が集まるので、豚インフルエンザ騒動の真っ只中

だと微妙だったかも知れません。

レースは3人交代でドライブする24時間、チームメートは昨年と同じでチームワークも

ばっちりのはずです。昨年は走行14時間目くらいでリタイアしましたが、今年は

リベンジしてほしいところです。

野田英樹選手は3人の中でもエースドライバー。チームの期待は大きいです。

昨年のブログでも紹介しましたが、ドライバーのひとりJean de Pourtalesはなんと

隻腕ドライバー。最高速度は400キロにも近いというのに、スゴイの一言です。

トラブルなく完走してくれれば結果はおのずとついてくるでしょう。

 

昨年は予選走行中に大きなトラブルがありました。野田選手がドライブしてたときに

マシントラブルで7回転半の木っ端微塵の大クラッシュ。正直ダメかと思いました。

が、全身打撲のみで致命傷なし。日ごろのトレーニングのたまものでしょう。

夜を徹してケアすることで翌日には復帰。すべてのレース関係者が驚いていました。

おかげでユーロスポーツの取材まで受けさせていただきました。

今年は新たな試みとして、他チームの治療のオファーも受けることになりました。

私自身もチャレンジ。成果をあげてきます。

決勝のレースは現地時間6月13日(土)15:00~14日(日)15:00までの24時間。

フランス ルマンのサルテサーキットで行われます。

チームは『KSM』 ナンバーは『39』 カテゴリーはLMP2 です。 

公式ホームページは

http://www.lemans.org/24heuresdumans/pages/accueil_fr.html

ぜひ応援してください!!

2008ダンロップフェニックスゴルフトーナメント PARTⅡ

火曜日, 1月 27th, 2009

さて、PARTⅠの続きです。

治療にたずさわらせていただいた選手たちをご紹介させていただいてますが、Ⅱでは優勝したプラヤド・マークセン選手(タイ)と今回はじめて治療させていただいたビッグプレイヤー たちにふれたいと思います。

2008ダンロップフェニックストーナメントの勝利の栄冠を勝ち取ったチャンピオンは、タイのプラヤド・マークセン選手。3日目から独走に入り、そのまま逃げ切り今期3勝目。

最終日は石川遼プロの追い上げもあり、見ごたえタップリのラウンドでした。18番ホールで見守っていたのですが、1打のミスが何千万円の差を生みだす状況でハラハラ、ドキドキ。ギャラリーは圧倒的に遼くんサイドでしたが、無事逃げ切りました。

18番ホール横でキャディーの上江州さんと少ししゃべったのですが、上江州さん自身数ホール前からめちゃめちゃ緊張した、とおっしゃってました。歓喜の笑顔というより、やりとげた安堵感がにじむ、ホッとした顔をされてました。

 

3日目の独走に入る前から治療をさせてもらっていて、2つ前のブログにも書きましたが、ラウンド後の囲み取材で私たちトレーナーの話をしてくれ、JGTO広報からの取材を受けることになりました。選手からそんなアクションがあるのはホントうれしいかぎりです。その模様はJGTO(日本ゴルフツアー機構)の公式ホームページに掲載されています。

じつは偶然なのですが、伊丹空港から宮崎に行く飛行機が同じだったんです。いつもと同じように二人三脚の専属キャディー、上江州さんと一緒に乗り込んできてバッタリ。1年ぶりに会話をしました。

お二方とも身長がそれほど大きくなく、赤いウインドブレーカーをお揃いで着てトコトコ乗ってくるので見た目もすごくコンビっぽくて、なんかかわいくて、とりあえずいいかんじなんです!!

話しかけるといつもニコニコ。日本語は厳しいみたいで、英語が少し。基本タイ語なのですが、こちらが話しかけると一生懸命聞き取ろうと努力してくれます。

年は間違いなく私より下だと前大会で治療したときから思ってたんですが、今回治療しながら話してて42歳ということを聞いて、まわりにいたトレーナーみんなまで『えぇ~!!』ってなりました。はじめ、冗談かとみんな思ってましたから。若々しい!!

で、こんなマークセン選手もひとたび試合に出ると、うって変わってパワフルなショットを打ち出します。試合運びもクレバーなんでベスト10入りもしょっちゅう。2007年度も日本ランキング一桁なのになぜか優勝はできないでいました。

しかし夏前の三菱ダイアモンドカップで初優勝したのをきっかけに、次週のミズノオープンにも勝って二週連続優勝。加えて、このダンロップフェニックスにも優勝で3勝、日本ランキングも片山晋吾プロ、矢野東プロについで3位。一気に花開きました。

今回トレーナーチームには通訳の女性が帯同してたのですが、その彼女も元々はプロゴルファーで、マークセン選手のことがあこがれの選手だったらしく、前では緊張してました。というのも、マークセン選手のスイングは、身長が低くても全身をしっかり使ったムリのない理想的なもので、プロ選手が模範にしたくなる完璧なスイングなのだそうです。マークセン選手にそのことを伝えると喜んでました。

選手、ゴルフ関係者のなかでマークセン選手は人格者として通ってます。地元タイでは大英雄。国王ともゴルフをする仲だと聞いています。日本国内での知名度は日本の上位プロほどではないですが、おそらく2009年の今期も活躍するでしょうから、徐々にマークセンの名前も浸透していくのではないでしょうか。

先日もスリーツアーズ選手権が地元タイで開催され、アジア代表として遼くんたちとともに戦ってマークセン選手自身もしっかりポイントをかせぎ、ヨーロピアンツアーたちを退け優勝してました。

マークセン選手はホームツアーであるジャパンツアーをまわるときは、専属キャディーの上江州さんのおられる大阪、伊丹に滞在します。私の治療院もとなり町。当院のホームページを見てる患者さんも、もしかしたら伊丹のダイアモンドシティーあたりで買い物してたら会っちゃうかも。地域をあげて応援したいですね、ホントすばらしい選手なので。

偶然なんですが、帰りの飛行機も一緒でした。宮崎空港で再度会ってお互いに歓喜のハグ&握手!!キャディーの上江州さんを横目にマークセンとふたり、搭乗口ではしゃいでました。

 

ふたりで写メ撮ってると、私の知り合いのテレビ中継のスタッフたちが集まってきて即席写メ大会。マークセンはその間もいやな顔はいっさいせず、最後のひとりまでニコニコ写真におさまってました。

 私的にはこれで2007優勝のイアン・ポールター選手に引き続き、2008優勝のマークセンと2連勝なので、2009も担当選手が優勝して3連覇を目指したいですね。

さてさて、今回は二人の大ベテランを治療する機会に恵まれ、貴重な体験をしました。な、なんと、あの御大、青木功プロがぷらっとやってこられたのです。はっきりいって緊張しました。疲れました。御大はトレーナーチームのボスを筆頭に、4人のトレーナーたちで分担させて治療させていただきました。

いままで様々な治療を受けてこられたからか、治療に関しても、からだのメカニズムに関しても、かなり詳しく理解されていました。特に肩甲骨の動き、骨盤の動きに治療の観点をもっておられるのは、いままでの数々の経験と深い洞察力が生み出したからではないでしょうか。私が常々運動器疾患の治療ポイントに考えてるのと同じでした。青木プロはその様々な観点と経験からご自分にあった治療を認識されてるように感じました。でもなおかつ新しい治療を探求するために、わざわざ治療を受けに来られたのかと思います。 

ちなみに、これが60歳の筋肉か、と驚かされるほどの筋力でした。今なおツアープロとして活躍するプライドと意地が垣間見えた瞬間でした。プロ中のプロといったところでしょうか。昔からテレビの画面で見てきた大ヒーローが空間を同じくしてるこの状況に、なにか不思議なかんじでした。

治療は連日させていただいたのですが、そのあいだにゴルフの技術的な質問や、青木プロのゴルフ界に対する考え方、あの遼くんのこと、そして青木プロの生い立ちや試合のエピソードなど、貴重すぎるお話をたくさんしていただきました。なんと、最後にはサインまで。ありがたすぎる、夢のような時間でした。

今回は御大、青木プロに加え、大ベテランの尾崎直道プロの治療もさせていただきました。じつは昔からファンで、あいかわらずのイケメンでした。ダンディーでおしゃべりもサイコーでめちゃめちゃ若々しい、往年のホンマもんのスターというかんじでしょうか。全盛期は神がかり的なショットを連発して、賞金王にも何度も輝いた、ゴルフ界で7人しかいない永久シード持ち(25勝以上)のバリバリのプロですから、オーラが全然違いました。

たまたまのタイミングで青木プロと直道プロが並んで治療されるときがあったのですが、ふたりの掛け合いがあまりにおもしろく、ファンからすればありえない贅沢な時間でした。

現在アメリカのチャンピオンズツアーに参戦されてる直道プロ。その苦労話からご家族の話、そしてゴルフ界のこと、たくさんおしゃべりさせていただきました。夫の顔、父の顔、そしてプロ選手としての顔、すべてがカッコいいの一言です。

予選ラウンドはなかなかいいかんじだったのですが、決勝ラウンドに入り残念ですが奮わず、宮崎をあとにされました。

そういえば、先日の遼くんやマークセンが出場したスリーツアー選手権で、日本チームのキャプテンをされてみごと優勝に導いてました。最後はふざけて池に落とされてましたが、そんなところが若い選手からも慕われる要因なのでしょう。

3回目ですが、今回もほんとに貴重な経験をさせていただきながら、私のキャリアも積み重ねることができました。治療は常に全力投球。治療者としての誇りを胸に精一杯の仕事をいつも心がけています。今回の経験も治療院での業務にフィードバックすることが私自身のスキルをアップすることになると思います。